どこ行くん?ほん近く。

“こんな大阪も見てほしい!”を主旨にした連載ルポルタージュ。趣あるすいなイラストと共に、大阪限定のやや濃い口なお話で綴っていきます。要となるイラストは、天満を舞台にしたNHK時代劇、「銀二貫」のタイトルイラストでお馴染みの内橋未央氏、ルポは阪上寿満子が担当致します!

第2回
痛烈に心を打った!
けたたましい鉦の音、白龍りゅうの舞い。

小学三年生のある暑い暑い夏の日、祖母と叔母に連れられて初めて天神祭を見に行きました。祖母も叔母も、その日は何だか懐かしそうで、もともと地元だった天満の町を慣れた足取りで歩きながら、「ここは昔はお肉屋さんやった」とか、「〇〇はんとこのお店は未だに私らが住んでた頃からとちょっとも変わってへん」などと、右に左に目をそわそわと動かしながら、神社までの道のりをしゃべりどおしで歩いていました。
天満橋を渡り、商店街を抜けて、境内に近づくと、耳に賑やかなだんじり囃子の音色が……。いま思い起こせば、そのときのだんじり囃子はチキチンチキチンコンコン!ではなくて、バーンバシャンバシャンバンバンという複雑に重なり合った金属的な音で、幼い頃の私の耳には祭囃子というよりは、けたたましいお念仏のように聞こえていました。
境内に入ってみると、その音はみるみるボリュームアップして迫ってきます。バーンバシャンバシャンバンバンンンンンンン〜〜〜〜〜!!!!!そして、その音に合わせて、日に焼けたおじさん(そのときは随分お若かったです)がクネクネと奇妙な動きで踊っているのが見えました。
「うわ!」何も怖がらされているわけではないのに、小さく心の中で叫んで固まってしまいました。お子様感覚で表現するならば、初めてお化け屋敷やサーカスを見たときのような恐怖感や緊張感……まさに“怖いけど見てみたい”、でした。

*イラストは、そのときに見たイメージ優先で表現しています。

指を突き出して空に向け、目を閉じて無心に踊るその様は、トランス状態。恍惚とした表情は、観客の私たちがいるところとは全然違う世界と交信しているようでした。目の前で繰り広げられる世界は何もかもが彫りが深くて、まるで彫刻物のようだし。耳をつんざくけたたましい鉦の音が神経のどこか変なスイッチを押したのか、気分が妙にハイになるし。私は目を見開いて、ただただ見入ってしまうばかりでした。怖くて本当は目をそむけたいのに、何だったらその場で「怖いぃ〜〜!!」と叫けびながら祖母と叔母にしがみついて号泣したいくらいだったのに……でも、そうしなかったのは心を揺さぶる得も言われぬ強い力が迫ってきているのを子供ながら感じていたからだと思います。ひょっとしたら子供だったからこそ感じ得たのかもしれません。

真夏の白昼、幼い私の目に焼きついた衝撃映像は、一日中、頭の中で私の意志とは全く無関係に、何度も何度もドップラー効果を付加させながら自動再生されていました。そしてその夜、夢の中にまでその衝撃映像はくっきりはっきりと現れ、挙句うなされてしまうまでに。数十年経ったいまでも、そのときの記憶は、やけに強く残っています。

龍の存在感、トラウマにも近い壮絶な印象、、、。

小学校も卒業し、やがて彼氏と一緒に天神祭に出かける年齢になると、だんじり囃子の舞台に近づくことすらなく、それよりも夜店や花火に夢中になっていて、あのときの強烈な記憶もすっかり薄らいでいました。
が、20歳くらいの頃、たまたま境内の近くまで行くことがあり、参拝客の頭と頭の狭間から、再びあの踊りを目にしたのです。お馴染みの賑々しいお囃子、チラチラと見えるちょっとイカツいお兄さんたちに混じって踊るベテランの踊り方さん……あれ?いつだったか、どっかで見たことある感じ……そう思ったとたん、それまで微かにしか視界に入ってきていなかったビジュアルがいきなり鮮明に映るようになり、ベテランの踊り方さんだけにばっちりピントが合ったのでした。そして、大きな三つ屋根の地車を配したお囃子の舞台がまるごとデングリ返りするように見えたかと思うと、小学3年生の私が釘付けになったあの時代の舞台へと瞬時に姿を変えタイムスリップしたのでした。「あっ、ああ〜〜あのおじさんだ!」。あのときの“怖いけどずっと見ていたい”という少し奇妙で不思議な記憶がリアルに蘇りました。
しばらく言葉も出ず、瞬きもできず。遠い昔のようでいて、つい最近のような……記憶の調整もままならないおかしな感覚にとらわれました。
そのときの私のレンズに映っていた光景を、細切れな表現で説明するとしたらこんな感じです――繰り返しうねるように上へ上へと舞い上がる白龍。どっしりとした胴体はいくつもの玉虫色の怪しい光を放つ鱗に覆われ、巨大な筒のように何度も何度も規則正しく回転していく。その随分先を行くお頭の部分はというと、ゆっくり下界から雲間を突き抜け、人間が決して辿りつけない厳かな世界へとまっすぐに向かって行った……そこは絶対に入ってはいけない結界を意味しているようでした。

ちなみに、だいぶんあとになって知ったのですが、こうした地車囃子に合わせて舞う踊りは“龍踊り”や“蛇踊り(じゃおどり)”、その他、“狸踊り”や“狐踊り”などと呼ばれています。そんな予備知識も何もなく、小学生の私は初めて目にしたときから、龍などの“神様のお使い”をごくごく自然にイメージさせられていたのです。それは、その踊り方の表現力と存在感ゆえだと思います。まさに踊りの神様!お祭りの踊りでこんなにも壮絶で、感動的で、衝撃的なエネルギーを発している人を他には見たことがありません。

近年、踊る姿をお見かけすることは昔よりも少なくなりましたが、その分、リスペクトされた若い踊り方の人たちをより多く見かけるようになりました。ただ、あの踊りだけはあの人だけのものであり、決して誰も真似できないものだという気がします。踊りの神様を知る人のほとんどがそう思っておられるのではないでしょうか。

そして、これはあくまでも私の想像ですが、踊りの神様はきっと孤独に、過酷に、もはや龍に変身するがごとく、手がおかしくなるほどの激しい練習を厳しい条件下で重ねて来られたのではないかと……。そんな踊りの神様に憧れ、本気で踊り方を目指したいまの40〜50代くらいの人達もまた、暑い人混みの中、長時間立ちっぱなしで生の舞台に見入り、自分で撮ったり仲間に借りたりしたビデオを穴が空くほど何度も何度も再生して研究したはずです。

神様の踊りを見られることそのものが貴重になりつつあるいま。「日本一!」と力強い掛け声がいくつも飛び交い、興奮気味で拍手し沸き立つ観客たちの熱い渦の中、一人私は鳥肌を立て、いまだに初めて見たときのキッツい印象……というよりは半ばトラウマのような感覚を抱きながら、見入ってしまうのでした。私にとってはちょっと現実離れした光景であり、音を聞き、踊りを見ているだけで、独特の怖くて、ちょっと神がかったような世界に引き込まれて行くのです(荒々しい印象の踊りかもしれませんが、私にはちょっと美しく見えたりもしています)。その度に、多感な時期に龍踊りに出くわしてよかったな、幼い頃に焼きついた記憶は劣化させることなく大事にしていこう、と思うのでした。

こちらでご紹介いたしました踊りの神様が去る5月に他界されました。
大阪のだんじり囃子の世界に大きな影響力と功績を残され、本当に神様になられました。
間もなく天神祭。“神様”に憧れた祭人にとっては、今年は特別な夏になりそうです。
謹んでご冥福をお祈り致します。

*本文に出てくる内容や表現は書き手の個人的見解によるものです。