たーまん世界を歩く

ただただ忙しく過ぎていく社会人生活に、漠然とした焦燥感を覚え、昨年秋に一念発起して退職しました。
そして半年間、寝る間を惜しんでリゾートホテルの住み込みバイトで貯金し、2019年6月1日、関空から出発。
目的は、これまでの人生で知らなかったことを見聞きすること。世界見聞家・たーまんの誕生です!
カタコトの英語と予算約100万円での旅はYouTubeでも配信中ですが、映像に入れられなかったことを
こちらのブログで紹介していきます。たーまんの珍道中、応援よろしくお願いします!

Vol.8

バヌアツ編 ⑦

【今日からお前はファミリーだ!!!!】

Johnさんの住む集落にお邪魔していたのは実に3泊4日間のことだった。
集落にはJohnさんのお母さんと数人の大きい子供、Johnさんのお兄さん家族、Johnさんの家族が住んでいる。
敷地の中にお父さんの墓があり、そこにしゃがんで手を合わせたあたりから、家族の仲間に受け入れてもらった気がする。

集落にいる間の生活は、朝日と共に起きて日の入りの時間には眠る超絶健康的なものだった。
朝は家族みんなで焚き火の前で焼いたバナナとかイモを食べて、午前中に諸々の仕事を片付ける。

仕事といっても海を案内してもらったり、市場に買物に出たりと、こちらからすると楽しいことだらけ。

途中自動草刈機の前で
「これがあると母さんがすごい楽なんやけどなぁ〜‥」
とおねだりされたことはあったけども断った。

こっちもカツカツやもの!
お前が手伝ってあげろよ!

集落に帰ってからお昼ご飯を食べる。
初日は近寄らなかった子供達も、折り紙で遊んだお陰で距離が縮まり、2日目からは一緒に草の上に座って食べるようになった。

Johnさんの彼女さんが料理上手で、一度ココナッツミルクでタロイモとほうれん草を煮たご飯を作ってくれた時は叫ぶほど美味しく感じた。

ただ保存場所はおびただしい数のゴキブリがいるキッチン。
それさえ知らなければ、もっと純粋に味わえたやろうとは思う。

午後からは連日Johnさんのマイホーム作りを手伝っていた。

Johnさんの部族では新郎側が住む家を作り、そこに別の集落から新婦がやって来るのが伝統で、結婚式は7日間ぶっ通し。
ダンサーを呼んで舞を踊り、豪華な食事を用意する必要がある!

昔は家の材料はジャングルで手に入り、ダンサーも頑張って狩をすれば呼べたけれども今はそうじゃない。
ヤシの葉っぱよりも手入れしやすい屋根、木の板よりも頑丈な壁があることを皆知ってしまっているので、なんとかコンクリート製でガラス窓のある家を作りたいというのが本音。

家を作るにも、冷蔵庫もないこの集落で宴をするにも現代では途方もない金がかかるので、Johnさんは彼女との間に3人の子供がいるものの、まだ結婚はできていない。
早く結婚して皆と一緒に住む為、オーストラリアのバナナ農園で出稼ぎをして稼いでいるのだ。

これが仕事か。これが父親か。と感じる。

家作りのうち、玄関ドアの作成を手伝っていたけれど、このタイミングで自分がいて幸運やったと思う。

何しろ誰もドアノブの構造を知らん!

そもそもドアのない家が多いこの国…蝶つがいやドアノブの部品は買えるけど、それがどのように機能するか誰も知らんかった。

板や材木を必死で切り出してドアを作り、あらゆる苦難を乗り越えて壁に設置。
蝶つがいを付けるのがあれほど大変な作業とは‥

途中ドライバーがない場面は、Johnさんが牛刀でネジを回そうとするまさかの発想。
波乱万丈やったけれども、なんとか玄関ドア作りは帰る日までに完了した!

Johnさんの働きで近い将来この家は完成し、夢に見た家族での時間が始まると思う。
家族の生活が営まれる、Johnさんの一生のマイホーム作りに関われたことはとてつもなく光栄なことやと感じた。

「いいか、お前がバヌアツに来た時の家はここだ。
俺とお前で作ったドアがここにある。
お前が来年また来る頃にはここに床がある。色のついた壁がある。
お前はここに帰って来るんだ。」

え、来年⁉︎

とは思ったものの、そう言ってくれるのはとてつもなく嬉しい。
集落から去る時、家族みんなが集まって

「お前は家族だ。いつでも帰ってこい。」

と言ってくれた。
この世に家族と呼んでくれる人が果たしてどれだけいるのか。
いつでも帰っていいんやと思える場所がどれだけあるのか。

数は関係ないと思うけど、そんな風に自分を大切に想ってくれる人がいてくれて嬉しい。

このブログでのバヌアツ編はもう終了する。
電気も水もないあの集落での生活を細かに書いているとキリがないから。

ただなんとかして僕も生活を整えて、Johnさんの結婚式に絶対参列できるようにしよう。

と心に決めた。

つづく