ただただ忙しく過ぎていく社会人生活に、漠然とした焦燥感を覚え、昨年秋に一念発起して退職しました。
そして半年間、寝る間を惜しんでリゾートホテルの住み込みバイトで貯金し、2019年6月1日、関空から出発。
目的は、これまでの人生で知らなかったことを見聞きすること。世界見聞家・たーまんの誕生です!
カタコトの英語と予算約100万円での旅はYouTubeでも配信中ですが、映像に入れられなかったことを
こちらのブログで紹介していきます。たーまんの珍道中、応援よろしくお願いします!
【決断!!止まってしまった旅!!!!】
あこちゃんと共に電波も電気も通じない、陸の孤島なペルー奥地のジャングルで1ヶ月過ごしていたら、世界がもの凄いことになっていた。
中国で発生した新型コロナウイルスが世界に拡散して猛威をふるい、世界中の航空機関はほぼストップ。
ペルーは国外からの人の流入を断絶、国内の人々の外出も制限した。
「銀行」「食料の買い出し」「病院」以外の目的での外出を禁止し、さらに月水金は女性外出禁止、火木土は男性外出禁止、日曜は全員外出禁止という異例の措置。
我々のいるプカルパはアンデス山脈を越えた先にあるため、交通機関が止まった今となっては首都や隣町へ行くこともままならない状態となった。
さらに新型コロナウイルスは「殺人ウイルス」であるとして、外出違反やマスク着用違反は全て「殺人未遂」として捕まるという恐怖の社会情勢である。
街に人はほとんどおらず、物流が止まっているため店舗は全て閉店。
主要な道路の曲がり角には警官や軍人が配置され、怪しい人物には行き先を確かめるなどの尋問を行っていた。
そんな中、見知らぬアジア人である我々はめちゃくちゃに怪しまれていたが、ジャングルへ向かう前に一泊した宿の従業員、エロイザが
エロイザ「覚えてる!彼らは確かに鎖国する前から国内にいたわ!」
と証言してくれたおかげで、なんとか宿に泊まって街に留まることができた。
エロイザ…! ありがとう…!!
プカルパは都会と断絶されすぎていて食料を運ぶトラック以外に他の街との交流がないので、街の中でコロナ感染者がおらず、その辺りの認識がゆるかったのもあるだろう。
こうして我々は、相変わらず陸の孤島で過ごすことになった。
あこちゃん「こんなことになってるとはね…」
たーまん「浦島太郎状態ってこういうことか…」
隣国であるエクアドルはこの時ひどい状況になっていたらしく…
新型コロナに感染して亡くなった方の埋葬法が分からず道に遺体が放置され、断絶されたペルーとの国境には人が押し寄せ、入国できず増え続ける大勢の人たちの間でウイルス感染が起こる、という悲劇が巻き起こっていたそうだ。
我々がエクアドルにいたのはほんの1ヶ月ほど前。
つい最近まで過ごしていた国がそんな状態になっているとは想像もできなかった。
▲エクアドルでの写真
さらに我々がジャングルにいる間、ペルーと同じく入国制限を行っている日本では国外にいる日本人の調査が行われていたそうで…
全く連絡の通じない我々がペルーにいることは、アフリカを共に旅したなっちゃんが大使館に伝えてくれていた!
なっちゃん[あんたら全く連絡取れないからさ!良かったよパスポートの写真持ってて!]
たーまん[いや本当ありがとうなっちゃん…なっちゃんは今どこに?]
なっちゃん[日本だよ!臨時便で帰ってきた。あんたらどうすんの?] たーまん[うーん…]
この時、主要な国には日本へ帰る人のため、飛行機の臨時便が出ていた。
しかしペルーからの臨時便は出ていなかったのだ。
ペルーにいる日本人はペルー→メキシコに飛ぶ台湾の臨時便(費用は乗客の人数で割り勘)に同乗させてもらい、飛行機を止めていないメキシコから日本への便を自分で取らねばならない。
メキシコからの飛行機は乗客がいないため価格が高騰している上、飛行機が飛ばないパターンも頻繁にあるようだが、そこに関してはペルーの日本大使館は感知しない。とのことだった。
さらにアンデス山脈を越えて首都のリマへ向かうため、特別な許可を出してもらってマイクロバスを1台チャーターしなければならない。
つまりめちゃくちゃお金がかかる。
残っている我々の旅の予算を合わせても全く足りない額だ。
たーまん[俺らはしばらくここで過ごしてみるよ!]
なっちゃん[マジで気をつけてね!]
こうして、我々の宿での監禁生活スタートが決定した。
たーまん「とにかく過ごすしかないし…楽しもう!」
あこちゃん「そうだね!!」
宿での食事
物流もかなり制限されているので、開いてるどこのお店に行っても商品棚はこんな感じだけれども
ひとまずジャングルから帰ってきて腹ペコの我々は…
ガッツリお菓子を買い込んだ。
多分いま人生で一番身体の中クリーンだと思うけども!!!
もう、チョコレート食べたくて仕方がないのよ!!
とにかく糖分を摂取したくてハチミツまで買ったもんな!
朝食は宿でエロイザが卵焼き・パン・ジュースを用意してくれていた。
(パンはガッチガチに固く、噛むとビスケットのように崩れるし、スプーンで叩くと釘を打つような音がする)
それ以外の食事は自分たちでまかなうので、食材は市場で購入する。
この市場でしか食材が手に入らないので、街中の人が市場に集まってる!
こんだけ密集してたらむしろこれ危険じゃないのか…
あこちゃんはそんな市場で食材を買い込み、この監禁生活にあり得ないほど充実した食生活をもたらしてくれた!
絶品すぎるパスタや生姜焼きにはじまり…
衝撃的だったのは揚げ物!!!
ペルーでは日本のようにパン粉が売られていないので、なんとこの揚げ物たちの衣は、朝食に出てくるガッチガチパンを砕いて作られている。
(ガッチガチパンには本来パンに必要不可欠である”水分”が全くないので簡単に砕ける)
作ってくれた食事のどれもが最高に美味しかった!!!
あこちゃんがいなければこの監禁生活での僕の食事は三食ガッチガチパンのみだったはずだ。
そのうえ何度か警察の目をかいくぐって一緒に大型スーパーに買い出しに行っていたので、我々の冷蔵庫はそこそこ充実していた。
修行僧のような食生活をしていたジャングルの生活から、一気に運動をせず食べ続ける生活に移行したので、僕はかなり太ったのだった。
宿での生活
宿の部屋に備え付けのテレビにはNetflixが繋がったため、ブラッドピットのジョー・ブラックに憧れて丸一日ジョー・ブラックとして過ごしてみたりと、全く退屈はしていなかった。
部屋でNetflixを観る以外の時間は、基本的に屋上で過ごした。
同じく部屋のベランダで過ごしている人が周りの建物にもいて、会話もできないけれど、同じ境遇なのでなんとなく親密感を感じられる。
(歌を熱唱した時には拍手もしてくれた)
時にはテーブルを屋上まで持ち込んで外食気分を味わったり…
ディズニー映画のヘラクレス プカルパver.のMVを撮影してみたり…
おさげ髪で宣材写真を撮影してみたり…
散髪をしたり…
多くの時間を屋上で過ごした。
しかもこの屋上、空がめちゃくちゃ綺麗に見える!!
だからこそ考えごとも、この美しい景色を眺めながらすることが多かった。
我々はプカルパでの監禁生活を毎日楽しんでいたし、友人たちからも「楽しそうだね」とよく連絡がきた。
しかし実際は大きな不安や焦りがあったのだ。
あこちゃんとも大きな喧嘩が頻発するようになっていた。
直近での大きな問題は減り続けていく予算だ。
物価の安いプカルパとはいえ、鎖国前と変わらない金額で発生し続けている宿代や、毎日の食事代で確実に我々の旅の予算は減っていた。
いつまでこの生活が続くのかも分からない。
さらに、プカルパの医療設備がどんなレベルなのかは知らないが、この街でウイルスに感染したら本気で死ぬかもしれない、という懸念もあった。
助かったとしても、保険に入っていない外国人にどれほどの医療費が請求されるのかは不明だ。
絶対に感染することはできない。
我々は外を歩く時は手袋までつけて、徹底的にウイルスと離れるよう心がけた。
そして、僕はこれからの人生をあこちゃんと別々で生きることなど毛頭考えていなかった。
彼女も完全にその気でいたと思う。
9歳年の離れたあこちゃんの出産適齢期を考えると、近年中に子どもを産みたいとも考えていたので、事態はより一層複雑さを増していた。
たーまん(この土地での出産経験があるミツさんや奥さんに話を聞いた方が良いか…)
たーまん(感染のことを考えるとジャングルに戻るのが安全なのか…)
たーまん(あこちゃんを守らねば。彼女に心配をかける訳にはいかない。)
たーまん(旅は終わるのか。俺はそれで良いのか。)
宿の屋上で思い悩む僕に、ある日あこちゃんは言った。
あこちゃん「思ったんだけどさ。」
たーまん「うん」
あこちゃん「あっちの川のほとりに、空き地みたいな場所があるんだよ。」
あこちゃん「あそこに自力で家建てて暮らそうよ!」
たーまん「は!?」
あこちゃん「私は日本食料理を作って売るよ。その場所で子どもも産むよ!」
あこちゃん「飲食店のマーケターだったんでしょ?繁盛させてよ!」
あこちゃん「私たちならできるよ。」
思い悩んでいたのがバカバカしくなるほどぶっ飛んだアイデアだった。
たーまん「いや…ジャングルの川は増水したら幅が倍くらいになるらしいから、あそこじゃ家は沈むんじゃないかな」
あこちゃん「あ、そうなの?」
あこちゃんは僕の何倍も強かった。
この地で生きることを簡単に決意した彼女の強さに僕は安心した。
それに、2人なら何でもできると確信するあこちゃんが心強かった。
そうか。
僕たちが一緒にい続ける限り、旅は終わらないんだ。
そう思えた。
それからというもの。
たーまん(外出が制限されてるのに飲食店を開いてもお客は来ないから…)
たーまん(市場で代わりに食材を買ってくる配送業が良いんじゃないか…)
たーまん(あこちゃんに料理を作ってもらって、配送と一緒に弁当の宅配事業もすれば良いんじゃないか…)
たーまん(荷車だけ買うか。いや、最初はリュックの中身を全部出せばいけるか。)
たーまん(まずはエロイザの友人たちから依頼を受けよう)
郵便や配達という概念が一切ないこの街で、配送業を始めようかと画策することになった。
監禁生活の終わり
しばらく続いた監禁生活の途中、ついにプカルパで新型コロナウイルスの感染者が出た。
感染者は市場の従業員3名。
山脈の向こうから来たトラック運転手が感染していたそうだ。
狭い街なので噂はすぐに広がったし、大使館も注意勧告の連絡をくれた。
2日後にはプカルパでの感染者が8名。
翌日には17名と、爆発的なペースで感染者が増え始めた。
あこちゃん「エロイザ、感染者が増えてるから、私たちのために出歩かなくて良いよ」
エロイザ「私は私の仕事をしてるだけよ」
エロイザはそんな中でも毎日、朝食の卵焼きとジュースを作りに宿に来てくれた。
そんなある日、大使館から連絡がきた。
[個人情報なのでこれまで伝えていなかったが、実はプカルパにあと4人の日本人がいる。
彼らとリマまでのバスのチャーター代を割り勘すれば、費用を抑えられるのでは。
我々も今回の臨時便で日本へ帰国するから連絡は最後になる。
複数の職員が乗るので、割り勘の飛行機代もより安くなる。今回の便で帰国しないか。]
要約するとそんな内容だった。
まさかこの街に他にも日本人がいるなんて!!
連絡先を教えてもらった我々は、連絡を取り合うことになった。
街にいた日本人は
プカルパで実地研究を行っていた人類学者の男性。
ビブグルマンにも掲載されている、オーガニック料理の飲食店を経営する女性。
アマゾン川を手作りのイカダで下り、この街に流れ着いたというイカれた男性2人組。
という、あらゆる意味で半端じゃないメンバーだった。
イカれた男性2人組には直接会ったりもして、メールで話し合った結論は全員一致で
「日本に帰ろう。」
だった。
たーまん「それでいいよな!」
あこちゃん「そうだね!」
この街で生きることを決意できた我々2人なら、今後どこででも生きられると思ったし、2人で一緒にいる限り、旅は永遠に終わらないと信じられた。
どうしようもなくなったら、帰りたくなったら、またこの街に帰ってくればいい。
イチから始めればいい。
日本に帰ろう。
この旅を、締めくくろう。
僕は大使館にメールを送った。
[帰国を決めました。チャーターの手配をお願いします。]
つづく