たーまん世界を歩く

ただただ忙しく過ぎていく社会人生活に、漠然とした焦燥感を覚え、昨年秋に一念発起して退職しました。
そして半年間、寝る間を惜しんでリゾートホテルの住み込みバイトで貯金し、2019年6月1日、関空から出発。
目的は、これまでの人生で知らなかったことを見聞きすること。世界見聞家・たーまんの誕生です!
カタコトの英語と予算約100万円での旅はYouTubeでも配信中ですが、映像に入れられなかったことを
こちらのブログで紹介していきます。たーまんの珍道中、応援よろしくお願いします!

Vol.113

パレスチナ・イスラエル編

【歴史!!パレスチナとイスラエル!!!!】

エジプト、ダハブで1ヶ月も過ごしていた僕が次に向かった国は、パレスチナ・イスラエル地域だ!

旅中最も緊迫した訪問となった2つの国の紹介をする前に、ざっくり両国とエルサレムが抱えてる歴史についてまとめておきたい。
僕が入国前に予習しておいた限りのことをざっくり時系列で書くと…

1.「エルサレム」という土地を含む「パレスチナ」地域にユダヤ人の王国があった。
  →ユダヤ人はユダヤ教を信仰しており、神に選ばれ、王国を約束されたと信じていた。
  →元々ファラオの奴隷だったユダヤ人たちは、エジプトを抜け出し王国の地を必死に探し続けた過去がある。

2.西暦70年頃、ローマから「エルサレム」を奪還すべく「十字軍」が到来。王国を滅ぼす。
  →「エルサレム」にはキリスト教の聖地である「キリストの墓」があるため。
  →キリスト教(新約聖書)はユダヤ教(旧約聖書)から生まれた宗教。
  →「神の子」を名乗り始めたキリストを神への侮辱として磔にしたのはユダヤ教徒。

3.ユダヤ人は散り散りに。キリストを磔にした歴史があるユダヤ人は世界中で迫害を受ける。

4.いやしい職業とされていた「金融業」の職にユダヤ人が就き、民族的に財力を持ち始める。
  →勤勉な民族なので優秀な人をどんどん輩出する。

5.王国跡地の「パレスチナ」にイスラム教徒であるアラブ人(パレスチナ人)が住み始める。
  →「エルサレム」はイスラム教の聖地でもあり、土地が信仰の対象となる。
   ※イスラム教の預言者である「ムハンマド」が昇天した土地。

6.「パレスチナ」地域にある「エルサレム」という土地が
  ・ユダヤ教徒にとって…神に約束され用意された(元)王国の土地
  ・キリスト教徒にとって…神の子が磔にされ、復活した聖地
  ・イスラム教徒にとって…神の声を届ける預言者が天に登った聖地
 として3つの宗教の聖地になる。

  →ユダヤ教・キリスト教・イスラム教にとっての「神」は同じ。

7.各地で影響力を手にしたユダヤ人から「王国の地を取り戻して建国したい!」
 土地に住んでいるアラブ人から「自分たちの国を作りたい!」という声が上がる。

8.第一次大戦中のイギリスが両方に「戦争に協力してくれたら建国して良いよ」と言う。
  →イギリスはユダヤ人から資金を調達したく、アラブ人にはオスマン帝国と戦って欲しかった。両方とも頑張って生き残った。
 更にイギリスはフランスと「パレスチナ」地域を分割統治しようと裏で約束。
  →「三枚舌外交」と呼ばれる

9.ナチス政権によるユダヤ人の迫害・虐殺が起こる

10.第二次世界大戦後、国連がパレスチナ地域を2分割してユダヤ人・アラブ人の国を作ることを認める。
  →重要な土地である「エルサレム」はどっちのものにもせず「国際管理下」に置いた。

11.勝手に国連に自分たちの住む地域を半分にされてアラブ人(パレスチナ人)は反対する。

12.ユダヤ人は悲願の「イスラエル」を建国。

13.怒ったアラブ人(パレスチナ人)が「イスラエル」に攻め込み、4回戦争をする。
  →イスラエルはアメリカ国内で政治力を持つユダヤ系アメリカ人たちの力で、アメリカから巨額の軍事援助を受ける。

14.イスラエルが軍事的に圧倒。最終的に国際法上認められていないエリアまでパレスチナを侵略・占領。
  →国際管理下であるはずの「エルサレム」も支配下に置く。

15.周辺のアラブ諸国もイスラエルに怒り始め、9.11などのテロが起き始める。

16.アメリカ、ノルウェーの仲裁で共存を目指す「オスロ同意」を結ぶ。
  →パレスチナの自治権を認め、イスラエル軍は少しずつ撤退する、という内容。

17.上手くいきかけたところで、同意に反対の右派イスラエル政治家が不可侵のアラブ人(パレスチナ人)聖地に警官と共に足を踏み入れる。
  →お祈りしていたアラブ人(パレスチナ人)が激怒して暴徒化。
  →イスラエルの警官、アラブ人(パレスチナ人)を殺害。

18.イスラエルの空爆、アラブ人(パレスチナ人)のテロが頻発。
  →聖地に踏み入れたイスラエル政治家は首相に。

19.首相になった右派イスラエル政治家がアラブ人(パレスチナ人)居住区を取り囲むように分離壁の設置を指示。
  →出入り口にはイスラエル軍が常駐。
  →元々パレスチナ居住区だったエリアにまで壁を立てて、さらに居住区が狭くなった。
  →分かれていたアラブ人(パレスチナ人)居住区が完全に2分される。

20.和平を進めるにも居住区が2分されたアラブ人(パレスチナ人)の意見はまとまらない。

21.ユダヤ系アメリカ人の支持を得たいトランプ政権がイスラエルの味方をすることを全面的に表明。
  →周辺のアラブ諸国との間を取りもち、パレスチナ抜きでイスラエルとアラブ諸国の国交を結ばせる。

22.和平交渉が絶望的になる。
  →「オスロ同意」の立役者であるアメリカのバイデン政権は対中国政策で大変。

ざっくりとか言ってた割にめちゃくちゃ長くなってしまった。

僕がイスラエル・パレスチナに訪れた時はちょうど「21」のトランプ政権の最中である。
文章だけでは分かりづらい、現地の状況をエリアごとに紹介したい。

エルサレム

本来は「国際管理下」であるはずのエルサレムだが、大勢のイスラエル軍が辺りを巡回しており、完全にイスラエルが支配しているような状況だ。
(イスラエルが支配していることは本来認めてはいけないのだけど、トランプ政権当時のアメリカが大使館をエルサレムに移転させ、大問題となった)

3つの宗教の聖地であるこの場所で最初に訪れたのは、ユダヤ教の聖地である「嘆きの壁」である。

  ※礼拝場所が男女で分かれている

「嘆きの壁」という呼称はユダヤ教徒以外の観光客が勝手に呼んでいる呼び名で、ユダヤ教徒はこの壁を「西の壁」と呼ぶそうだ。

というのもこの壁はユダヤ教において最も神聖とされる神殿の西側の外壁なのである!
神殿そのものは「2」の十字軍の進撃の際に破壊されたが、残った外壁が信仰の対象となった。

ローマに支配されていた当時、ユダヤ教徒は1年に1度だけこの壁でのお祈りを許されたそうだ。

敬虔なユダヤ教徒の中には、真っ黒な服に身を包み大きな帽子を被る「超正統派」と呼ばれる人々がいる。
幼い頃から特別な学校に通い、聖書の教えを守って戒律の中に生きる人々で、インターネットなど外部の情報を全く遮断し、生涯ユダヤ教だけを学び続ける。

基本的に就職もしないのでイスラエル国内で問題にもなっているが、国の存続には欠かせない存在なのだそうだ。

髭やもみあげも剃らない彼らのスタイルは、日本でいうところの高僧のようなものなのだろうか…
と思いきや国内のノリは沖縄の国際通りに近いっぽい。
 (“JEW”はユダヤ教徒の意味)

とはいえ、正しい身なりというのがきちんと決まっているようだ。

「嘆きの壁」に訪れる観光客も帽子だけはかぶる必要があるようで、壁の前には貸し出し用の帽子が用意されている。

ただこの帽子、僕がかぶると…

帽子が完全に浮いてる!!
決してふざけてるわけではないけど、髪質と宗教が合わなすぎる!
天パのユダヤ教徒はどうしてんの!?

壁と一緒に一枚。
カッパの皿みたいになってるけど、本当にふざけているわけではない。
真剣にお祈りをするユダヤ教徒の方々の邪魔をしないよう、ササっと離れたのであった。

そんな「嘆きの壁」と同じ構造物のすぐ上に位置するのが、イスラム教の聖地で予言者ムハンマドが昇天した地とされる「岩のドーム」である。

こちらはイスラム教の礼拝所であるモスクとは違い、その名の通り聖なる岩を覆うように建てられためちゃくちゃ綺麗なドームである。

聖なる岩というのは予言者ムハンマドがその岩から昇天し、天使ガブリエルに連れられて神の前にまで至ったという逸話にまつわるもの。
イスラム教内ではメッカ、ムハンマドの霊廟に次いで第三の聖地とされているが、イスラエルの統治下であるからか参拝客はほとんどいなかった。

実はドームが守る岩はユダヤ教・キリスト教にとっても神聖な岩で、3つの宗教の祖に近い存在である「アブラハム」が神に命じられ、息子のイサクを生贄に捧げようとした台座がこの岩であるとされている。
(生贄に捧げるのは天使が止めた。神によって信仰心を試されたらしい。)

また旧約聖書によれば「アブラハム」はユダヤ人・アラブ人の共通の祖先だそうだ。

こちらはイスラム教徒以外は中に立ち入れないので実物の岩を見ることはできなかった。

さらに「岩のドーム」から少し離れた場所に位置するのが「キリストの墓」である「聖墳墓教会」と、キリストが十字架を背負って磔にされたゴルゴタの丘まで歩いたとされる“苦難の道”「ヴィア・ドロローサ」だ。

「ヴィア・ドロローサ」では実際に重い十字架を持ち、キリストが辿った道のりを辿る人がいたり、聖書に記述がある地点にマークが付いていたりする。
(最初に倒れた場所。悲しむ母マリアに会った場所。住民がキリストの汗を拭った場所。など。)

日本で育った僕は、イエス・キリストが実在した人物だという認識がいまいちないのだけど、この地でこうも鮮明に当時の記録を知ると、実際に存在した人なのかも…
と思えてくる。

この「ヴィア・ドロローサ」を登りきると、当時ゴルゴタの丘だった「聖墳墓教会」が現れる。
キリストが埋葬され、その後復活した場所である。

内部に入ってすぐの場所に、息絶えたキリストを十字架から降ろし、埋葬のために乗せたとされる石板が置かれている。
この石板の上で聖油をかけ、身体を清めたそうだ。

キリスト教徒の方々が、熱心に拝んでいる姿が目に焼きついている。

こちらは元々あったゴルゴタの丘を覆ったとされる場所。

祭壇の下に穴が開いていて、直接ゴルゴタの丘の岩に触れることができる。
こちらはキリストが埋葬された石墓。

これまではキリスト教の教会に行っても、キリスト教そのものに触れることはなかった。
しかしこの地ではキリストの真髄に触れるような、生きた人間の生々しさを感じるような、不思議な体験をした気がする。

イスラエル

世界各地での迫害されてきた歴史の末、勤勉さと教育水準の高さという民度の高さで世界中で頭角を表し、ついには2000年前の王国を取り戻したイスラエル。

近年はIT分野に強い国としても知られているが、どんな国かというと…

いやいや、めちゃくちゃ都会!!!!
正直イメージと違いすぎる!!!!

どこもかしこも都会で、泊まった宿にも無料の映画館が併設されていたりと、とてもオシャレだった。
夜道も明るくて警戒せず歩ける。

 ※真ん中の彼は宿で知り合った日本人

ホロコーストについての資料館も存在し、ユダヤ人の歴史を学ぶことができた。
彼らがどれほどの迫害を経験してきたのか、彼らがなぜこの国に誇りを持っているのか、その一端を学べた気がする。
二度と起こしてはいけない悲劇がそこにはあった。

各地で自分たちの文化を守らなければならなかったユダヤ人たちは「キブツ」と呼ばれる共同体を形成し、キブツを拡大しつつ助け合いながら生きてきた文化がある。

そんなキブツに住む日本人とコンタクトが取れたので、田舎の方にある「キブツ」へとお邪魔できることになった!

現代的なゲートを越えて中へと入る。

キブツの中には学校も郵便局も服屋もなんでもあって、1ヶ月以上キブツから出なくても生活できるそうだ。
事前にお金を払って食券を買っておき、食堂でご飯を食べる。

まるで学校のようだが、食堂のスタッフもキブツに住む住人だ。
キブツの中で経済が周り、何人もで固まって住むことで、迫害からも逃れることができる。
進化した現代でもそのシステムは上手く回っているようだ。

こんなレアな経験をさせて頂けたことがありがたい!
ありがとうございます!!

パレスチナ

パレスチナへの移動は、イスラエルよりもさらに慎重になる必要がある。
パレスチナ人のタクシードライバーであるムハンマドさん(名前がややこしい)の案内に従いつつ、パレスチナを観光することになった。

ムハンマドさんとは一緒に食事をしたりして少しずつ仲良くなった。
アラブ人はこうして大きなパンをみんなで分け合って食べるらしい。

彼は当初に約束していた場所以外にもたくさんの場所に案内してくれた。
その中の1つは、数ヶ月前にイスラエル軍が突然押し入ってきて、ゴーストタウンと化した街だ。

  ※ゴーストタウン

  ※住人がいるエリア

前まではこんな風なお店がいっぱいあったという地下の商店街も

そのほとんどが店を閉じ、中の住人はもう逃げているそうだ。

頭上の建物には突然イスラエル人が住み始め、ゴミを投げ捨てるので金網を設置しなければいけないらしい。

 ※家にかけられているのはイスラエルの国旗

空爆を実施する時にはビラが撒かれたりするものの、突然イスラエル軍が押し入ってくると何の抵抗もできないそうだ。
空爆のビラも、自分たちの家を突然爆破しますと言われて何故逃げなければならないのか。
どこに逃げれば良いのか。と言っていた。

さらに、ムハンマドさんの紹介で彼の友人に会うことになった。

彼は自宅の屋上にある貯水槽にイスラエル軍が穴を開けた現場に遭遇したらしい。

抵抗した彼のお父さんは太ももを撃たれ、妊娠中の奥さんも階段から落とされて流産してしまったそうだ。
お父さんは今も普通に歩けてはおらず、仕事ができないと言っていた。

「歩けるようにはなるかもしれないが、孫には二度と会えない」

と語っていたのが印象的だ。

このエリアの人たちもすっかりいなくなったそうで、実際子供の姿すら見かけなかったが、綺麗に整えられたテラスのある家には、イスラエルの国旗がはためいていた。

上の2枚目の画像、山の斜面に見える白い建物は、全てイスラエルの「キブツ」である。
「キブツ」の中で豊かな生活を送っているイスラエル人がいるのかと思うと、パレスチナの現状とのギャップが恐ろしい。

ムハンマドさん曰く
「あの白い建物が1個現れると、気づけばどんどん増えるんだ。中にはイスラエル人がいっぱいいる。気持ち悪いよ」

とのことだった。

その後もさらにムハンマドさんに案内され、我々は比較的平和な地区のイスラエル軍占領地域のそばまで来ることになった。

ムハンマドさん「ここも突然イスラエル軍が仕切り始めた場所だ。俺は行けないが、お前らは行っても何もされない」

と言うので、めちゃくちゃビビりながらイスラエル軍の占領地に突撃してみることにした。

すれ違う軍人に、やけにでかい車。

白いコンテナの向こう側がイスラエル軍の占領地域だ。

ここも何か理由があった訳ではなく、突然イスラエル軍が自分たちの拠点にした場所だそう。
近くにユダヤ教の遺跡があるので、この地を介して「超正統派」のユダヤ人もやって来るそうだ。

中は閑散としている割に物々しい雰囲気だが、軍人だけでなく女性も子供もいた。

軍人の彼らとも話をしたが、ごく普通の優しい青年に見えた。
「軍がここを基地にすると決めて、住人を追い払った。俺らはその後で来たから、何があったかは知らないよ」
と言っていた。

「キブツ」や占領地などを作る「入植」は、国際法上の違法行為である。

占領地からほど近いところには、イスラエルが建てた分離壁が並んでいる。

分離壁はパレスチナの人々のアートのキャンバスにもなりつつあるが、そのほとんどに解放のメッセージが込められている。

壁面にアートを描く流れを作ったのは、パレスチナ問題解決に向けて独自の方法で挑んでいる覆面アーティスト「バンクシー」がきっかけだ。

彼はパレスチナ国内に多数のアートを残しており、そのおかげでパレスチナの安全な地域に我々含む複数の観光客が来るようになった。

更には分離壁のすぐ向かいに「世界一眺めの悪いホテル」という二つ名の「THE WALLED OFF HOTEL」を建設!

これがまた、バンクシーの世界観溢れまくるホテルで大変格好良かった!!!

ロビーのほとんどがパレスチナの現状を訴える場所になっていて、彼のパレスチナ問題への姿勢がよく見えた。
イギリスの三枚舌外交に端を発したパレスチナ問題に、イギリス人である彼が挑む姿勢が素敵だ。

ムハンマドさんは
「俺たちにできることは少ない。とにかくみんなに知って欲しい。世界に状況を発信したい。話を聞いて欲しい」

と言っていた。

僕は難しい問題はわからないし、外交の機微や歴史についても詳しい訳ではない。

けれど現地を見て回って、今非人道的な行為をしているのはイスラエルの方だと感じた。
それに間違いなく国際的な違法行為を行っている。

自分たちも迫害され続けた過去があって、勤勉さを活かして影響力を身につけて、そんな素敵な民族がなぜ、宗教観も住む場所も近い隣人に目を向けられないのだろうか。

パレスチナのことをもっと知りたくて、パレスチナに泊まれないかムハンマドさんに聞いてみると

ムハンマドさん「明日、トランプ大統領が会見をする予定だ。それによってまたパレスチナは荒れるはず。俺の友達にも電波塔を破壊する準備をしている奴がいる。
明日以降はしばらく、パレスチナに来ない方が良い」

と言われた。

現在、イスラエルにはトランプ政権当時よりも更に右派の首相が就任し、バイデン政権はパレスチナ問題については先送りにするような発言が多い。

イスラエルの入植は今も続いている。国際社会が気づかないうちに、そのうちパレスチナ地区はイスラエルに乗っ取られてしまうのではないか…

そんな風に心配してしまう。

僕にできることは何もないが、せめて今回の記事で、ムハンマドさんの希望通り、パレスチナの現状を知る人が増えてくれれば嬉しい。

つづく